大学を卒業した息子の保育園から就職までをまとめてみよう!

イギリスの大学の卒業式が来月あるうちの息子。長かったようで、あっという間だった23年間をざっとまとめてみたいと思います。

シンガポールで産まれた息子は、小さい私からは信じられない3.5キロというビッグベイビーでした。デカすぎて、産道を通るのに時間がかかったのか、朝5時に陣痛が来てから、出産の夜8時まで、実に15時間コースでした。お昼ぐらいに破水してからの陣痛に耐えられず、無痛分娩に切り替えたので、あとの痛みは一切ありませんでしたが、変ないきみ方をしたせいか、その後、いぼ痔の激痛に襲われましたが笑

産前産後はリタイアしていた父が手伝いに来てくれて、ご飯を作ってくれたり、上の娘の学校の送り迎えをしてくれたりして、順調に二人目子育てをしていましたが、父がいなくなった途端、どうにもこうにもならんと思い、フィリピン人の住み込みヘルパーを雇いました。子供好きの彼女によく遊んでもらい、最初の2年間はコンドの公園に入り浸っていました。

この頃、息子のためのベビーサークルを立ち上げた私は、息子の友達のお母さん達と、ランチに行ったり、パーティーしたりと、一体誰のためのベビーサークルや?という毎日でした。

2歳になったところで、近所のローカル保育園 Cambridge Pre-schoolに入れました。半日からのスタートでしたが、すぐにフルデイにして、朝9時頃に娘をカナディアンスクールに送っていくタイミングで入れて、夕方5時半頃まで保育園で預かってもらっていました。

このまま小学校くらいまで保育園に行って欲しかったのですが、息子の英語がめちゃくちゃシングリッシュになってきて、他のシンガポール人の子供よりなまっとるがなという感じだったと、そろそろ保育園の園庭も狭いかなと思い、4歳になった時に娘と同じカナディアンスクールに移しました。

のんびりとしたカナディアンスクールの雰囲気に馴染み、勉強もたいしてせず、インター生活を4年生までエンジョイしていましたが、当時のカナディアンスクールが、やれビルディングファンドや、学費の値上げやと言ってきて、ファシリティもショボイのに厚かましいな〜とイラっときて、どうせお金を払うならと、4年生になる時に、お姉ちゃんと一緒にUWCのDover校に移しました。

当時のUWCはまだウェイティング制で、2年間待ったら試験もなく入学できました。

そのまま高校を卒業するまで、UWCにいたのですが、こんなに勉強せーへんか?というくらい勉強はあまりしていませんでした。

UWCは中学3年から高校1年で、GCSEという2年間のカリキュラム、高校2、3年でIBのディプロマコースをするのですが、初めての彼女ができ、恋に溺れていたアホ息子。この4年間は毎日勉強しなさいと言い続けましたが、学校から7時くらいに帰ってきて、夕飯食べ終わったら、さっさと自分の部屋にこもり、勉強しているのかと思いきや、友達や彼女とチャットしてるか、ゲームしてるか、チャットしながらゲームしてるかの3択。

おいおい、学費いくら払ってると思ってんねん!と、私のイライラ度もマックスでした。

カナディアン時代もUWCでも、成績は中の中くらいだった息子でしたが、なぜか遊び倒したGCSEでは主要科目をほぼ全て1点の差で、A*をもぎ取って来ました。なんちゅうラッキーな男やと思ったものです。

しかし、それで勉強しなくても、そこそこ取れると思ったアホ息子は、IBの時も結局同じ調子で恋に溺れながら、チャットとゲームに没頭しておりました。

高校2年の最初の大学アドバイザーとの面談では、イギリスとカナダの大学を受けようと思ってますが、トロントやマクギル、ブリティッシュコロンビア辺りいけますかね〜?と言うと、カナダには有名じゃないけど良い大学が他にもあるよ〜と言われる始末。

その時の成績だと45点満点の32辺りをウロウロしている感じでした。

お姉ちゃんがやっていたので、ついでに習わせた公文式は年長くらいから中学2年くらいまで数学をやっていましたが、後半2年くらいは高校教材が難しかったのか、ずっと解答書をうつしていました。

塾らしい塾に行かせたのは、公文をやめた後の、Math Visionだけでした。この塾はディベーシュというインド人がやっているマンツーマンの塾で、UWCの子は1/3くらいは通ってるんじゃないの?というくらいの、大人気の塾です。

Math Vision Enrichment Centre - Tutors in Singapore
Math Vision Enrichment Centre | To rise beyond oneself...

しかし、この塾は結構良かったのか、息子も気に入って、週一回くらいは通っていました。

IBの結果はGCSEと違い、3教科を1点差で、上のグループに入れないという結果になりました。IBはお金を出すと再採点してくれるので、3教科分を申し込みましたが、7点に上がったコンピュータサイエンスを除き、数学と物理はそれぞれ7点中、5点と6点という結果になりました。これが後で大きな問題になったのです。

イギリスの大学が本命だった息子ですが、イギリスの大学はハイヤーレベル3科目と、スタンダートレベル3科目の総合点と、ハイヤー科目の点数の足切りで、合否が決まります。

第一志望だったUniversity College Londonの最低点はハイヤーレベル科目合計18点以上で、数学は6点以上ないと、本来なら足切りにあうはずでした。数学が5点だったため、ハイヤーの合計が1点足りず、数学も1点足りないという結果だったので、UWCの大学アドバイザーにも絶対に無理だと言われました。

しかし2年間の兵役中だった息子にはイギリスの大学を入試するチャンスが2回ありました。そこで、初年度は、とりあえず、ダメ元でUCLとKing’s College を含む5校に出願しました。

息子が出願した年は、コロナでIBの試験がなく、その年の生徒は予想点だけで合否を決めなくてはいけなかった事、息子のIBは既に結果が出ていた事、足りなかったのは数学の1点だけだった事、出願していた学科に関係のあるコンピュータサイエンスが7点だった事、IBの総合点は合格ラインを超えていた事、UWCからの出願だった事など、色々な条件が重なったと思いますが、奇跡的に第一志望のUCLから合格通知が来た時は、親子で飛び上がって喜びました。

ちなみに、同じ条件でしたが、King’s Collegeは落ちました。あとは、Warwick大学、 Bermingham大学、 Manchester大学は合格しました。

カナダはマクギルだけ受けましたが、こちらも合格しました。

1点のことで、合否がかわるのは、受験あるあるですが、ここでも持ち前の幸運を発揮して、2年間の徴兵を無事に終えて、イギリスのロンドンで大学生活を送る事になりました。

イギリスの大学は通常3年間なので、一般教養などはせず、いきなり専門課程に入ります。息子の専攻は IT Management for Business というコースで、ビジネスとコンピュータサイエンスを半分ずつ勉強するみたいなコースでした。

ここで異変が!

なんと、あの勉強嫌いだった息子が、人生で初めて勉強し始めたのです。

無理だと言われたUCLに入れたからか、さすがにそろそろ勉強しようと思ったのか、専攻したコースが興味深かったのか、1年からファーストの成績を取り続け、無事にファーストの成績で卒業する事ができました。

ファーストというのは首席という事じゃありませんよ!70点以上という事で、その下は、60点以上で2.1 そして50点以上で2.2となりますが、2.2だと就職にも支障をきたしますので、2.1は取りたいところです。

9月の卒業式後、次の週にはビジネスコンサルタントとして社会人デビューする息子ですが、まあ元気で幸せでいてくれれば、親としては十分です!

長いブログになりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました♪

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