シンガポールで過ごした30代、40代、50代 − 40代編

40歳になった頃は、娘がカナディアンスクールの4年生で、息子が2年生になっていました。当時、キャンパスが2つに分かれていたカナディアンですが、娘がミドルスクールのキャンパスに、息子がジュニアのキャンパスに通っていました。この頃のカナディアンスクールは、授業料もバンバンと上がりだし、ついでにビルディングファンドなるものも請求されるようになりました。なんで校舎も変わってないのに、ビルディングファンドやねん!とイラッときていた私。当時United World College (UWC)とカナディアンの授業料の差額は年間5000ドルくらいだったのですが、UWCの校舎は立派だったし、ファシリティーもかなり差がありました。仲の良い友達の子供がずっとUWCに通っていて気に入っているようだったし、評判も良さそうだったので、よし!移すか!と決断し、アプリケーションを出しました。

当時のUWCはまだウェイティングシステムを取っていたため、約2年待ちという感じでした。まあ連絡来るまで気長に待つかと思い、アプリケーションだけ出して放置しておきました。

この頃はギャラリーでオープンハウスをするのもやめていて、日本のオンラインショップでインドネシアのアタ製品などを売っていたのかな?バリ島にいる知り合いから売れたら直接送ってもらうという方式をとっていたのですが、始めた当初より郵送料が値上がりし、売れても大して儲からないというビジネスをしていました。移住コンサルタントの仕事もまだボチボチやっている頃で、それほど忙しくもなく、毎日何をしていたのか、イマイチ記憶にありません!

バリ島から仕入れていたアタバッグ

42歳になる頃、まず娘のUWC入学が決まり、そのおかげで兄弟プライオリティー枠に入った息子がウェイティングを80人抜きくらいして、同時にUWCに入る事になりました。のんびりしたカナディアンでエンジョイしていた子供たちは、入学してもしばらくはカナディアンに戻りたいとブツブツ言っていましたが、すぐにUWCに慣れたようで、友達もたくさんできて楽しんでいるようでした。

なんのトロフィーかわかりませんが、UWCに入った頃の息子

43歳になった頃、娘のUWCの友達のお母さんが娘から私が移住コンサルタントをしていることを聞き、ちょうど日本人のコンサルタントを探していたところだったということで、連絡をもらい、その会社でも働き始める事にしました。

当時、神戸にあったP&Gがシンガポールにアジアの拠点を移すということで、たくさんの日本人が移ってくる計画があったらしく、日本人のコンサルタントもいるだろうということだったらしいです。それから数年間はほぼP&Gのお客様のアテンドでめちゃめちゃ忙しい日々を過ごす事になりました。月に3、4日しか休みがないことも多く、今から考えたらエグいスケジュールで働いていました。40代前半はまだ体力があったんですね〜

P&Gは私が日本にいた頃に働いていた会社でもあったので、昔の同僚に会うこともあり、すっかり偉くなられた懐かしい方々にシンガポールで再会できるなんて不思議な感じでした。世間は狭いから、悪いことできないな〜としみじみ思った次第です。悪いことする前提か?!

44歳になった頃、娘の学校をUWCからシンガポールのアートスクールScool of the Arts (SOTA)に移す事にしました。2歳からバレエをやっていた娘は、当時シンガポールバレエアカデミーに週2回ほど練習に行き、シンガポールのバレエ団であるシンガポールダンスシアターが主催するユースチームに入って週末はその練習に行っている程度でした。カナディアンから自分で移す事にしたくせに、UWCの学費も高く、どっかもっと安い学校ないのかな〜とググっていたところ、んん?これはなんじゃ?と目に止まったのがSOTAの記事でした。

シンガポールのアート系の中高一貫校で、ドービーゴートにお洒落な校舎があるじゃないの!カリキュラムも最後はI Bのディプロマを取るという事で、UWCと一緒だし、なんと言っても学費が安い!うちはその頃もうシンガポールのP R(永住権)を取っていたので、1ヶ月460ドルという破格値!おまけにI Bの結果は45点満点中38点くらいでUWCの平均より高いやん!コースはダンス、音楽、ビジュアルアート、シアターの4種類に分かれていて、もちろんダンスを選択。試験はダンスのオーディション、英語、数学の3種類でした。ダンスの試験は問題ないだろうと思っていましたが、数学はシンガポールのスタンダードからするとどうだろうという感じでしたが、当時まだ公文式をしていた娘はなんとか試験に合格して、SOTAに入学する事になりました。

UWCでの最後の先生との面談で、SOTAに移ることにしたと言ったら、なぜか数学の先生にダンスで生きていくのは難しいと思うがよく考えたのか?と聞かれましたが、まあなんとかなるでしょう!くらいにしか考えていませんでした。イマイチ気乗りしない娘を、まあ嫌やったら、またUWCにいつでも戻れるやん!などと適当なことを言って説得し、UWCで7年生の途中、1月から初めてのローカルスクールに行くことになりました。

今までは息子と、近所の友達の子供と一緒にUWCに車で送迎していたのですが、学校が分かれるとそうもいきません。友達が息子を送っていってくれる時は娘をSOTAまで送ることができますが、それ以外は自力でバスで行ってもらうことにしました。

入学式がある初日、車で送っていけないこともなかったのですが、まあバス通学にも慣れとかないとね、と思い、バスを調べると、どうもオーチャードまで行くエクスプレスバスがあるようだったので、じゃあこれに乗って行き!と言って、送り出した。始業時間に間に合うかちょっと微妙だなと思ったのですが、まあ良いかと軽く考え、時間通りにきたバスにのせたのですが、甘かった。

初日から10分ほど遅刻した娘は、入学式で他に遅刻してきた2人と壇上に立たされ、ローカルスクールの洗礼を受けることになったのでした。初日から遅れてくるとは何事だ!とめちゃくちゃ叱られた娘は、今までインターで叱られた経験がなかったため、ママのせいでえらい目にあった!と怒り心頭で帰ってきました。次の日からはもう少し早いエキスプレスではないバスでチンタラと通うことになりました。

SOTAのダンスコースは他のコースよりも厳しく、授業が4時半くらいに終わった後も学校に残り、毎日8時頃まではダンスの練習がありました。細かった娘の足は筋肉隆々となり、ダンスのテクニックも目に見えて上達していきました。ローカルの友達もできて、それなりに楽しくやっているようで、UWCに帰りたいとは言わなかったのが幸いでした。

浮いた娘の学費を使って、ロンドンに不動産を買ったのが45歳の時でした。イギリスの大学に行く場合、3年イギリスに住んでいないと国内生の学費にならないのですが、不動産を持っていると、国内生扱いしてもらえることがあると小耳に挟んだのがきっかけでした。たまたま調べていると、シンガポールから買える新築のマンションがあり、シンガポールのローカル銀行であるO C B Cがローンを組んでくれるというので、出張にいった旦那についでに見にいってもらい、即決で買いました。その頃ロンドンの不動産は低迷していたので、なかなかお安く買えたのではないかと思います。その後、2、3年で一大不動産ブームを迎え、倍近くまで値段が跳ね上がりました。

調子に乗って、もう一軒イギリスに不動産を買おうと思い、またググっていたら出てきたマンチェスターの物件。これを購入したのが、49歳くらいの時だったと思います。当時、マンチェスターはこれから不動産価格が暴騰するという話があり、2ベッドのマンションを購入しましたが、まだこれから建てるという物件だったため、頭金だけ払い、そのまま放置していました。建築が始まり、2年くらい経ってから、イギリスの弁護士事務所から、予期せぬ事態が発生したため、建築が遅延することになるが、このまま持ち続けるか、今デベロッパーに返却するか、決めろみたいなレターが届き、どういう状況やねん?と色々調べてみましたが、その予期せぬ事態が何なのかはわからず、デベロッパーも予期せぬ事態としか言えないという感じで、頭金に1年5%のせてやるからと言われ、何か歴史的なものでも掘り当てて、工事がこのままストップしてはどうしようもないと思い、デベロッパーに返却することにしました。22万ポンドで買ったマンションでしたが、その頃すでに値段は30万ポンドを超えていて、手放すのは惜しいと思ったのですが、結局、よくわからないまま手放しました。

これはしてやられました。その後バークレー銀行のお客さんにその話をしたら、それはイギリスのデベロッパーがよくやる手口だと言われました。急激に不動産価格が上昇した時に、安く売りすぎたデベロッパーがしょーもない理由をつけて買い戻そうとする手口らしいです。大手のデベロッパーだったこともあり、そんなこととは夢にも思わず、まんまとしてやられてしまいました。

娘はSOTAで息子はUWCで学生生活を送っていたのですが、娘が11年生になる直前にその事件は起こりました。10年生になった娘は11年生からダンスの専科であるIBのサティフィケートコースを取るメンバーに選ばれたのですが、ダンスは趣味にして、普通の大学に行きたいという娘の希望もあり、国際バカロレアのディプロマコースを取ることにしたのですが、10年生最後の試験で数学と生物学で赤点を取ってしまい、学校から呼び出しがかかりました。

中学1年生の頃から、毎年、学年度末になると、成績不振の生徒は学校から呼び出しがあり、何人かは留年させられるという生徒が出ていたのは知っていました。娘の友達も常連で、毎年、呼び出しを受けながらも、ここまで留年は免れて進級してきた子もいたので、もうちょっと勉強しなさいよと小言を言われるくらいかなと軽く考えてSOTAに向かいましたが、私たちを待ち受けていたのは、もっと残酷なものでした。

2教科で赤点を取った生徒は他にもたくさんいたのですが、娘の問題は合格していたマレー語の授業のクレジットがカウントされないということだったのです。当時SOTAではローカルの生徒は外国語の選択をほぼ全員中国語にしていましたが、インター上がりの娘は中国語をやっていたにもかかわらず、中国語のクラスには入れてもらえず、I Bのディプロマでは自動的にマレー語のアビニシオというビギナーレベルのコースを取るというコースに入れられていました。ただアビニシオを取るためにはその前にマレー語を勉強しているとまずいということで、マレー文化を勉強しているという名目でマレー語の勉強をしていたため、クレジットとしてはカウントされないという考え方らしいです。これにより、取得したクレジットの数が足りず、進級するにはクレジットが足りないという結果になったようでした。

面談室で、教頭先生とダンス課の先生とミーティングが始まりましたが、クレジットが足りないので、留年するか、NAFA(Nanyang Academy of Fine Arts)かLasalle College of Artsのダンス課の2年に編入するかの選択になりますと冷たく言われ、泣き出す娘の横で、ディプロマコースに進むのが無理なら、SOTAのダンス専科に進級させてくれないかと頼むも、もう選考は終わっているし、お宅のお嬢さんはダンス専科をリジェクトしたのだからもう無理だの一点張りで、そんなもんインターナルな決断やろと食い下がる私に冷たく、無理ですと返答してきた。校長にレターを書き、アピールしたが、もう決まったことですからと、あっさりしたメールが返ってきただけでした。

この時、学年度末のステージでセンターを務めることになっていた娘のリハーサルはまだ続いていて、ポスターにはデカデカと娘の顔が貼られていましたが、これがSOTAでの娘の最後のステージになってしまいました。その舞台には恩師であるシンガポールダンスシアターのディレクターも来て、素晴らしい舞台だったと褒めてくれましたが、彼もそれが娘の最後の舞台だとは知らないようでした。もう辞めさせられる学校の舞台なんか出なくていいんじゃない?と言う私に、センターが抜けるわけにはいかないと最後まで練習を続け、舞台をつとめあげた娘と、舞台後に抱き合って2人で大泣きしたのは今でも苦い思い出です。SOTAに行ったのは、その日が最後となりました。

その後Overseas Family Schooln(OFS)に編入した娘は、絶対にSOTAの平均点よりも高い点数を取ってやると勉強にも勤しみ、結果としては、ずっと行きたかったロンドンのUniversity College London (UCL)に無事合格することができました。I Bの予想点でほぼ満点を取ってきた娘は東大にも奨学金付きで合格し、受験した大学は全て合格するという快挙を遂げました。結局は第一志望だったUCLに行くことにして、それも不動産を買ったにもかかわらず、国際生の学費になってしまい、うちはまたしても学費地獄が続くことになってしまいましたが、もしかしたら、SOTAに行っていたらUCLには入れなかったかもしれないと思うと、人生何が幸いするかはわからないという気にもなります。ただ生徒を切り捨てるようなことをしたSOTAには今でも腹立たしい気持ちがあります。教育とは何なのかということをよく考えて欲しいという気持ちでいっぱいです。これは娘にとっては黒歴史で、本当はYouTubeで語りたかったのですが、娘に絶対やめてくれと言われたので、日本語ブログでとどめておきます。ばれるかな?

40代後半は娘の学校の件で怒涛の時期でしたが、なんとか切り抜けたという感じでした。その間、息子は呑気にUWCで大して勉強もせずたらたらとしておりました。40代は移住コンサルタントの仕事をしながら、子供の進学とともに過ぎていった感じでした。

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最後までお読みいただきありがとうありがとうございました♪

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コメント

  1. Tomoko より:

    シンガポールに来年移住するので息子の学校を調べていたところこの記事にたどり着きました。娘さんの学校の退学から編入、読んでいて涙が出ました。お母様も娘さんもどんなに苦しかったことかと思います。見事に行きたい大学への合格して本当に良かったですね。

    • Hey Singapore Hey Singapore より:

      お読みいただき、ありがとうございました 子供の教育は何が正解だったのか、いつまでたってもわかりませんが、うちは2人とも今幸せそうにしてるので、まあとりあえず良かったかなと思っています。息子さんにピッタリの学校が見つかると良いですね!